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「見えない違い」私はアスペルガー ジュリー・ダシェ原作

見えない違い 私はアスペルガー  ジュリー・ダシェ(原作)、マドモワゼル・カロリーヌ(作画)、原正人(翻訳)、花伝社

 

この漫画の主人公は27歳のマルグリットで、会社勤めをし、恋人がいます。でも彼女の心が本当に落ち着くのは自宅にいる時くらいで、はた目にはそう見えなくても日常生活のあらゆる場面で気苦労のたえない女性です。

いつもと同じ行動が取れないと落ち着かなくなってしまう。人の話し声をはじめ、時計の針が進む音やハイヒールの音など、物音が全般的にうるさく感じやっていることに集中できない。自分なりのこだわりがあり周りの人の興味に関係なく熱っぽく語ってしまう。人の言葉の裏を読むのが苦手である。急に疲労困憊が襲い、何もできなくなる・・等々。

職場に馴染めず恋人ともけんかをするような毎日ですが、ある日自身の悩みを検索しているときにアスペルガーという言葉を発見します。

 

そしてその後、彼女の悩みを理解できる医者と出会い、自閉症と診断されます。その診断にマルグリットは心からほっとします。外からは「見えない違い」、その存在を、生きてきて初めて正当に認められたと感じたのです。

 

それを機に彼女は自分のその見えない違いを大切にしながら、前向きに生きていくようになります。彼女の生きる世界が急に生きやすく変化するわけではありません。しかし彼女自身は変化します。説明しても理解できない様子の恋人や職場とは別れ、違いを理解しその味方になってくれる新しい人間関係を築いていく・・、大雑把に言えばそういうお話です。

 

私が読んでいてとても印象的で嬉しかったのは、診断を受けた後にありのままの自分が人に認められたと感じ自分でも自身を肯定することができ、恋人とシャンパンでお祝いをすること(「自分の限界に耳を傾け・・・私自身に敬意を払うの」と言っています)。またそれからしばらくして、「見えない違い」を「正々堂々と引き受けるというマルグリットなりの宣言」をする場面です。

 

「あなたは変わっている」、「なんで他の人と同じようにできないんだ」と言われて傷ついた経験は誰でも一つはあると思います。この漫画にはアスペルガーである主人公の生きづらさやそこからの変化、自分をよりよく発揮しながら生きていく様子が描かれています。人のひとりひとりの違いを認めたりそれを自身が引き受けることについて、普遍的なものがあるお話だと思いました。

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切迫する不安 ピエールの症例(2)

各セッション(面接)の要点は、以下のようなものでした。順を追ってみてみます。

初回

最初のパニック発作の話。ピエールが修士論文を書き終えた時に、最初のパニック発作が起きたのでした。その後はきまって眠れないとき、夜中に起こっていました。彼は突然発作が起きることを怖れて、どう防いでいいのかが分からなくて悩んでいると言います。

家族について。ピエールは複数の兄を持つ末っ子で、彼は大人たちに囲まれて、まじめで孤独な子どもでした。

仕事の面では学歴や職業訓練などに釣り合っていないような職を、細々とやっていること。公務員試験に挑もうと勉強をしていたものの、物事が変化するとは思えないことや、また、将来に関して自分が家族を失望させてしまうのではないかと恐れていると言います。

二回目

具合がとても良くなったが、ただ初回面接の二日後にパニック発作が起こったことだけは例外だったと言います。「僕が絶望しているかのように、内面から生じてくる脅威」について語ります。友人の自殺を知って、彼自身も人生上の出来事に向き合う力がないのではないかと怖れている。と言うのは、友人は学業を立派に修めて、近い将来父親にもなるはずだったのに、自殺してしまったのだから。自殺の理由が分からず不可解な謎となっていて、そのせいで非常に動揺しているのだと認めます。

三回目

無気力で耐え難い不安にさいなまれた期間があったと語ります。分析家は自殺した友人について、思うこと、心に浮かぶことを何でも話すように求めます(自由連想)。するとピエールは彼の通っていた「人生の見直し」とはどんな会なのかを詳しく説明しますが、続けてじつは自殺した友人は、まだこの訓練をする前だったと話します。博士号を取ったその友人に対して、他の友人たちはこう言ってからかったのでした「いまや、君は免れないよ!」。その友人は本当はこれから皆の前で人生上の個人的な困難について話す番だったのに、それをする前に自殺を選んでしまったのでした。このこと自体も、ピエールや友人たちを一層困惑させるものでした。いったい友人のこころの中で、何が起こっていたのだろう。

四回目

すべてはうまく行っていましたが、その後再び不意に不安になったと語ります。ピエールの誕生日が来ましたが、同時にその日は友人の命日でもありました。ピエールが考える、最も耐え難いこととは、友人が誰にも助けを求めなかったことでした。

分析家は彼に両親について訊いてみます。「両親はこのことについて知っているの?」―ピエールは知っていると答えます。その事件の後、ピエールは数週間実家で過ごしたのでした。彼は修士号をとるのに10年かかったのですが、両親は常に彼を信頼して支えていました。友人らは「君の両親はすばらしいね」と言っていたのですが、ピエールは親の彼への態度についてそんなふうにポジティブに捉えたことはなかったことに気がつきます。

五回目

女性との付き合いについて語ります。最初はマチルドのことで、彼女もまた宗教のグループの活動を熱心にやっている女性でした。ずいぶん前からピエールとマチルドは一緒に勉強していて、互いによく知っている仲です。告白したのは彼女のほうからで、ピエールは彼女の要求にこたえましたが、本当は魅了されているわけではありませんでした。全然女性らしくなく、威張っていて頭が固いのだと説明します。ところで最近になり、べつの若い女性がピエールに興味を示してきました。しかし彼はマチルドに対して罪責感を感じたり、先へ踏み込むことが怖く、自分に自信ももてませんでした。彼はイエズス会の黙想会に出ることに決めます。

六回目

イエズス会の黙想会の時に、彼は福音書の有名なテキストを読むことになります。

このテキストについて、「父と三人の息子について」と彼は言います。一般的には放蕩息子のたとえ話のことですが、彼のこの話の捉え方はそうではないようです。

これは父から遺産を分配してもらい自分の人生を生きようと父とその実家から立ち去ろうとする息子の話です。父はそれを承諾して、それぞれの息子に取り分を与えます。何年かして長男は、父のそばにとどまっていたにも関わらず遺産の分配についてはその報いを得られなかったことについて、父を非難します。

そこでピエールは、でも、と言います。この長男だって父からすでに遺産の分配は受けたのにそれを忘れているのだし、父のそばにとどまっていたのは彼の問題なのだと。「自分の人生を作ることを、彼は自分に禁じたのです」と説明しました。

分析家はピエールがそんなふうにこのテキストを解釈することで、彼自身の人生についても解釈しているのだと考えます。父のそばにとどまるというのは、選択の問題なのだと。ピエールもまた、両親のそばにとどまることを選んでいました。仕事のことであれ恋愛のことであれ、彼は子ども時代をおしまいにして、自分自身の道を見つけるということをそれまでしないできたし、自分の人生を楽しむことを禁じてきたのだと。しかしいまやピエールは、それらのことを自分に許可できるのです。

またピエールは、ある別の若い娘が彼の誕生日に姿をみせたと語ります。その女性は彼に万年筆を贈り、「これは、言う勇気がないすべてのことをあなたに伝える、私なりのやり方なの」と書いてきたのでした。ピエールは電話をかけ、デートに誘いました。

七回目

バカンスから戻ってきてからのこと。ピエールは万年筆をくれた女性とバカンスを過ごしたのですが、とても楽しく過ごせたとのことです。彼は恋をしています。彼はパニック発作はもうでなくなったと言います。いつでもまた何かあったら来れることを確認してから、面接は最終回となりました。

 

以上が7回のセッションのまとめです。次の記事で分析家がどのようにピエールの訴えを捉えて理解したのか、面接でどのようなことが起こったのか等を解説したいと思います。

 

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フランソワーズ・ドルト「子どもの精神分析セミナー」試訳

2021/11/11

フランソワーズ・ドルト(Françoise Dolto, 1908-1988)はフランスの児童精神科医です。彼女は子どもの精神分析家としてフランスではお茶の間でも大変有名で人気のあった人物です(彼女の子ども達のうちのひとりが、コメディアンとして活躍しています)。トゥルソー病院での臨床や専門家向けの教育活動だけではなく、ラジオ番組で定期的に子どもに関する相談にのったり、”緑の家”と呼ばれる幼児と保護者のための施設を創設するなど、精力的に活動し、児童の精神分析や教育分野で多大な貢献をしました。彼女の出たテレビ番組を見てみると、語り口がとても明快で分かり易くかつ一種の迫力も自然に備わっていて、知的な肝っ玉母さん(?)といった風の女性に見えます。また、同時代のジャック・ラカンとも近い人物で、ラカンのセミネールでもドルトとラカンのやり取りがなされ、記録されてもいます。

 

ドルトの著作は翻訳されているものも幾つかありますが、いまだ翻訳されていないものもあります。そのうちの一つ、「子どもの精神分析セミナー」(Séminaire de psychanalyse d’enfants, éditions du Seuil, 1982)は3巻本になりますが、これは子どもの臨床に直接携わる人たちを対象としたセミナーの収録です。そこには患者である子どもとドルトが直接その場で面接をする”患者呈示”についても、彼女自身のコメント付きで収録されています。

 

ラカンは新しい精神分析の形や理論を作っただけではなく卓越した臨床家でもありましたが、ドルトもまた非常に優れた臨床家でした。この本は面接場面で臨床家が子どもとどう関わったら良いのかが具体的に分かる良書です。専門家だけでなく、悩み苦しんでいる子どもの考えていることを知りたい人にお勧めです。

 

本の一部の試訳を、PDFファイルにして載せます(試訳であることをご承知の上、ご利用下さい)。もし何らかの問題がある場合は、お知らせください。

 

子どもの精神分析セミナー フランソワーズ・ドルト (タイトルは仮につけたものです)

第一回 子どもと真実

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/49ef72b19c9b2addea8db508ca9b00b7-2.pdf

第二回 親の症状としての子ども

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/20cfce153c6dcbd30dc35695758066ae.pdf

第三回 様々な去勢 いかなる去勢も受けてこなかったカティアの症例

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/041c8e89b678b46731ac2144bc87c2e7.pdf

第四回 様々な去勢2 恐怖症など

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/3d286c066077720590e492e614c9bbcc.pdf

第5回 自分で創作した言語しか話さないディディエの症例

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/588f5dc5c85286438783f2302a488dbe.pdf

 

 

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