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臨床における滑稽(ECFの55回大会)

 

ラカン派の精神分析家団体、ECFの年次大会が、11月15日、16日の二日間にわたりパリのPalais des congrèsで開催されます。

今年のテーマは「臨床における滑稽」です。

このテーマの元に、初日は症例検討会がいくつかのグループに分かれて行われ、二日目は講演や対談などが行われる予定です。年によりますが、演劇やバンドの演奏などがあることもあります。

大会責任者で精神分析家のローラ・ソコロフスキーさんによる大会趣旨文を訳しました。興味のある方は読んでください。

ソコロフスキー 趣旨

よくある質問

すぐに話したいことがあるのに、生育歴も話さなければならないのでしょうか。時間がもったいない気がします。

 

面接の進め方についてですが、初回はまず悩んでいることや困っていること、どうなりたいのか、どんなことを求めて相談室にきたのかなどを、自由にお話ください。またその背景、いつから悩みが始まったのか、どういう状況で起きたのかなどもお話ください。
多くの場合その後の面接で(2回目以降)、生育歴をうかがうようにしています。これを予備的な面接と呼んでいます。どこでどんなふうに生まれ育ったのかということや、印象に残っている出来事、また大きな病気や入院をしたことがあるかなど、個人的な歴史に関することです。

時にもどかしく思うことがあるかもしれませんが、予備的な面接は、その後、継続的な面接に入るかどうかを決める上で大切な面接です。

たとえばご自身の歴史を話しているときに、どうしても話せないところ、話したくないところが出てくることがあります。それがなぜなのかを考えてみることもよいことです。そこには色々な理由があると考えられます。

話せないところを無理に話さなければならないわけではありません。お話は自分のタイミングで、話せるときに話すのが一番です。ただ、少なくとも今は話せないことや話したくないことがあるのだなと、ご自身で知ることが大切です。つまりこんな風にしてすでに自分を知っていく、理解していく作業が始まっていると、考えることができます。

また予備的な面接をしている期間に、稀に相談室ではお引き受けできないという判断をする場合があります。色々なケースがありますが、たとえばHPのご相談項目・料金ページで言及している「お引き受けできない場合」に該当することを、ご本人が話し出す場合です。申し込みの時と初回面接の時はそのことを忘れていたため来室して相談することになったが、話しているうちに思い出したということが実際に起こるのです。

 

以上のような理由で、予備的な面接というのは飛ばしてすすむことができない、大切なものと考えています。人によって期間は変わりますが通常2回目から4回目くらいの面接のあいだで終わり、その後どのように面接を進めていくか(何を目的にするのかや料金、時間、面接の間隔、キャンセル料などの設定)を話し合い取り決めをしてから、継続的な面接に入ることになります。

 

またすでに精神科や心療内科などの医療機関にかかっている方の場合、継続的な面接に入るまえにその担当医からの紹介状を持参してくださるようにお願いする場合があります。

 

よくある質問

精神医学と精神分析とはどう違うのでしょうか(2)

 

メンタルクリニックや心療内科、精神科に行くと、患者さんを精神科医が診察し、精神医学のマニュアルに基づいて診断を下し、薬が処方されます。診断名をもらうことで、自分だけが悩んでいるのではないのだと思って安心し、場合によってはそれだけでもずいぶんこころが軽くなることがあります。またそれとは反対に、診断がつくことによってショックを受けたり、知らないほうがよかったと感じる場合もあるでしょう。

精神医学のマニュアルは、それまでの莫大な数の患者さんのデータを分類することにより作られています。診断は、その診断を受けた人たちに共通する症状の特徴を拾い上げて名付けたものと考えられます。例えば鬱病の場合は、気持ちの落ち込みや罪責感情、食欲不振、疲労感といったものが、共通する特徴となります。そして精神科医はこれらの特徴を適切に聞き出して、ふさわしい薬を処方するというかたちで治療を行います。ですのでこう言ってよければ、精神医学の治療とは患者さんたちに「共通するもの」、「一般的なもの」を見いだすという方向性をもっています。

 

これに対して精神分析(ラカン派)の場合、分析主体(分析を受ける主体=医療場面では患者にあたるもの)の特異性と言われるもの、その人に固有のかけがえのないものに向かって分析が進む、ということができます。分析に来るということは、その人に何か目的があってくるわけですから(たとえば、自分を知りたいとか、悩み・症状を解決したいとか)、本人が意識しようがしまいが、どうしてもその目的となっているものの周りをめぐったお話をするようになります。分析では自由連想が原則となりますが、自由連想とは結局のところそのようなものです。「自由」が付いているからと言って、必ずしも話があちこちに行くということではありません。むしろ自由に話しているつもりでも、主体の話はある意味、連想でつながっているということです。そしてその連想の意味するところを分析家とともに読むことを進めていくことにより、悩みや症状の原因となっているものが特定できたり、解決したり軽減します。そして究極的には分析主体にまったく固有のもの(特異性とか、かけがえのないものと呼んでいます)に到達します。ここで言うその人に固有のものとは、精神分析によってそう判断されるもののことであって、一般的に考えられているような、たとえばその人の「個性」や「特徴」とよべるものとも違います。また「究極的には」というのは、そこまで分析を続ける人は少ないからです。むしろそのような方向性をもつ分析の過程で、悩みや症状が解決したり軽減することがほとんどです。

このように精神医学と精神分析は治療の方向性がちがう、と考えることができます。前者は一般へ向かい、後者は特異性に向かうという言い方ができます。

 

ただし両者の方向性が違うことは互いが独立していることを意味しているのであって、精神分析が精神医学やその診断を無視するということではありません。メンタルクリニックや心療内科、精神科にすでにおかかりの方が分析をする場合、診断について知ったうえで始めることが多く、相談室ではほとんどの場合、紹介状をもらってきてくださるようお願いしています。

 

精神医学と精神分析はどう違うのでしょうか(1)はこちら

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