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切迫する不安 ピエールの症例(2)

各セッション(面接)の要点は、以下のようなものでした。順を追ってみてみます。

初回

最初のパニック発作の話。ピエールが修士論文を書き終えた時に、最初のパニック発作が起きたのでした。その後はきまって眠れないとき、夜中に起こっていました。彼は突然発作が起きることを怖れて、どう防いでいいのかが分からなくて悩んでいると言います。

家族について。ピエールは複数の兄を持つ末っ子で、彼は大人たちに囲まれて、まじめで孤独な子どもでした。

仕事の面では学歴や職業訓練などに釣り合っていないような職を、細々とやっていること。公務員試験に挑もうと勉強をしていたものの、物事が変化するとは思えないことや、また、将来に関して自分が家族を失望させてしまうのではないかと恐れていると言います。

二回目

具合がとても良くなったが、ただ初回面接の二日後にパニック発作が起こったことだけは例外だったと言います。「僕が絶望しているかのように、内面から生じてくる脅威」について語ります。友人の自殺を知って、彼自身も人生上の出来事に向き合う力がないのではないかと怖れている。と言うのは、友人は学業を立派に修めて、近い将来父親にもなるはずだったのに、自殺してしまったのだから。自殺の理由が分からず不可解な謎となっていて、そのせいで非常に動揺しているのだと認めます。

三回目

無気力で耐え難い不安にさいなまれた期間があったと語ります。分析家は自殺した友人について、思うこと、心に浮かぶことを何でも話すように求めます(自由連想)。するとピエールは彼の通っていた「人生の見直し」とはどんな会なのかを詳しく説明しますが、続けてじつは自殺した友人は、まだこの訓練をする前だったと話します。博士号を取ったその友人に対して、他の友人たちはこう言ってからかったのでした「いまや、君は免れないよ!」。その友人は本当はこれから皆の前で人生上の個人的な困難について話す番だったのに、それをする前に自殺を選んでしまったのでした。このこと自体も、ピエールや友人たちを一層困惑させるものでした。いったい友人のこころの中で、何が起こっていたのだろう。

四回目

すべてはうまく行っていましたが、その後再び不意に不安になったと語ります。ピエールの誕生日が来ましたが、同時にその日は友人の命日でもありました。ピエールが考える、最も耐え難いこととは、友人が誰にも助けを求めなかったことでした。

分析家は彼に両親について訊いてみます。「両親はこのことについて知っているの?」―ピエールは知っていると答えます。その事件の後、ピエールは数週間実家で過ごしたのでした。彼は修士号をとるのに10年かかったのですが、両親は常に彼を信頼して支えていました。友人らは「君の両親はすばらしいね」と言っていたのですが、ピエールは親の彼への態度についてそんなふうにポジティブに捉えたことはなかったことに気がつきます。

五回目

女性との付き合いについて語ります。最初はマチルドのことで、彼女もまた宗教のグループの活動を熱心にやっている女性でした。ずいぶん前からピエールとマチルドは一緒に勉強していて、互いによく知っている仲です。告白したのは彼女のほうからで、ピエールは彼女の要求にこたえましたが、本当は魅了されているわけではありませんでした。全然女性らしくなく、威張っていて頭が固いのだと説明します。ところで最近になり、べつの若い女性がピエールに興味を示してきました。しかし彼はマチルドに対して罪責感を感じたり、先へ踏み込むことが怖く、自分に自信ももてませんでした。彼はイエズス会の黙想会に出ることに決めます。

六回目

イエズス会の黙想会の時に、彼は福音書の有名なテキストを読むことになります。

このテキストについて、「父と三人の息子について」と彼は言います。一般的には放蕩息子のたとえ話のことですが、彼のこの話の捉え方はそうではないようです。

これは父から遺産を分配してもらい自分の人生を生きようと父とその実家から立ち去ろうとする息子の話です。父はそれを承諾して、それぞれの息子に取り分を与えます。何年かして長男は、父のそばにとどまっていたにも関わらず遺産の分配についてはその報いを得られなかったことについて、父を非難します。

そこでピエールは、でも、と言います。この長男だって父からすでに遺産の分配は受けたのにそれを忘れているのだし、父のそばにとどまっていたのは彼の問題なのだと。「自分の人生を作ることを、彼は自分に禁じたのです」と説明しました。

分析家はピエールがそんなふうにこのテキストを解釈することで、彼自身の人生についても解釈しているのだと考えます。父のそばにとどまるというのは、選択の問題なのだと。ピエールもまた、両親のそばにとどまることを選んでいました。仕事のことであれ恋愛のことであれ、彼は子ども時代をおしまいにして、自分自身の道を見つけるということをそれまでしないできたし、自分の人生を楽しむことを禁じてきたのだと。しかしいまやピエールは、それらのことを自分に許可できるのです。

またピエールは、ある別の若い娘が彼の誕生日に姿をみせたと語ります。その女性は彼に万年筆を贈り、「これは、言う勇気がないすべてのことをあなたに伝える、私なりのやり方なの」と書いてきたのでした。ピエールは電話をかけ、デートに誘いました。

七回目

バカンスから戻ってきてからのこと。ピエールは万年筆をくれた女性とバカンスを過ごしたのですが、とても楽しく過ごせたとのことです。彼は恋をしています。彼はパニック発作はもうでなくなったと言います。いつでもまた何かあったら来れることを確認してから、面接は最終回となりました。

 

以上が7回のセッションのまとめです。次の記事で分析家がどのようにピエールの訴えを捉えて理解したのか、面接でどのようなことが起こったのか等を解説したいと思います。

 

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フランソワーズ・ドルト「子どもの精神分析セミナー」試訳

2021/11/11

フランソワーズ・ドルト(Françoise Dolto, 1908-1988)はフランスの児童精神科医です。彼女は子どもの精神分析家としてフランスではお茶の間でも大変有名で人気のあった人物です(彼女の子ども達のうちのひとりが、コメディアンとして活躍しています)。トゥルソー病院での臨床や専門家向けの教育活動だけではなく、ラジオ番組で定期的に子どもに関する相談にのったり、”緑の家”と呼ばれる幼児と保護者のための施設を創設するなど、精力的に活動し、児童の精神分析や教育分野で多大な貢献をしました。彼女の出たテレビ番組を見てみると、語り口がとても明快で分かり易くかつ一種の迫力も自然に備わっていて、知的な肝っ玉母さん(?)といった風の女性に見えます。また、同時代のジャック・ラカンとも近い人物で、ラカンのセミネールでもドルトとラカンのやり取りがなされ、記録されてもいます。

 

ドルトの著作は翻訳されているものも幾つかありますが、いまだ翻訳されていないものもあります。そのうちの一つ、「子どもの精神分析セミナー」(Séminaire de psychanalyse d’enfants, éditions du Seuil, 1982)は3巻本になりますが、これは子どもの臨床に直接携わる人たちを対象としたセミナーの収録です。そこには患者である子どもとドルトが直接その場で面接をする”患者呈示”についても、彼女自身のコメント付きで収録されています。

 

ラカンは新しい精神分析の形や理論を作っただけではなく卓越した臨床家でもありましたが、ドルトもまた非常に優れた臨床家でした。この本は面接場面で臨床家が子どもとどう関わったら良いのかが具体的に分かる良書です。専門家だけでなく、悩み苦しんでいる子どもの考えていることを知りたい人にお勧めです。

 

本の一部の試訳を、PDFファイルにして載せます(試訳であることをご承知の上、ご利用下さい)。もし何らかの問題がある場合は、お知らせください。

 

子どもの精神分析セミナー フランソワーズ・ドルト (タイトルは仮につけたものです)

第一回 子どもと真実

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/49ef72b19c9b2addea8db508ca9b00b7-2.pdf

第二回 親の症状としての子ども

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/20cfce153c6dcbd30dc35695758066ae.pdf

第三回 様々な去勢 いかなる去勢も受けてこなかったカティアの症例

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/041c8e89b678b46731ac2144bc87c2e7.pdf

第四回 様々な去勢2 恐怖症など

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/3d286c066077720590e492e614c9bbcc.pdf

第5回 自分で創作した言語しか話さないディディエの症例

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/588f5dc5c85286438783f2302a488dbe.pdf

 

 

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切迫する不安 ピエールの症例

パニック発作に悩む35歳ピエールの症例です。これはフランス人女性精神分析家であるエレーヌ・ボノーHélène Bonnaudの書いた「言葉にとらわれた身体」le corps pris au motという本(Navarin Editeur)に紹介されています。

 

この症例は7回という精神分析的な面接としては少ない面接回数で、治療効果があったと考えられるものです。

 

ピエールは35歳で、2年ほどパニック発作に悩んでいました。発作が始まったのはある友人が自殺した後のことでした。この友人は前途有望で、哲学の博士論文の口頭審査を終えて結婚したばかりのところであり、妻は妊娠をしていました。ピエールや周囲の人間は、なぜこの友人が飛び降り自殺を図ったのか、理由がまったく分かりませんでした。そして困惑と漠然とした不安に捉われていました。

 

ピエールは精神分析家たちの団体が運営する相談施設を訪れます。すぐに話がしたいという切迫した様子だったため、多くの場合予約の手続きが必要であるにもかかわらず、この女性分析家は緊急に彼を面接に受け入れることにしました。

 

初回、彼は不安を訴え、前述したように前途有望で幸せの絶頂にいると思っていた友人が自殺を図ってしまったことを語ります。しかし本当の問題はその先に起こったのでした。友人の死を知りショックを受けた後、ある共通の友達に「君に同じこと(自殺)が起こるなんてことは、あってはならないよ」と声をかけられたのですが、まさにこう言われたせいで、ピエールは自分が自殺をするのではないかと動揺し、一層の不安に陥ってしまったのだということです。

 

ピエールにこの言葉をかけた友達の意図は分かりません。自殺の伝染する性質のようなものを心配してそう言ったのかも知れませんしそうでないのかも知れませんが、とにかくこのフレーズがピエールの胸に刻み込まれてしまい、不安を生むものになってしまったのでした。

 

そして初回彼に会った分析家には、ピエールは不安発作のことよりもむしろ自身が自殺という行為をしてしまうのではないかと、切迫した様子で訴えていると感じられました。彼女は分析と並行して精神科をもつ医療機関で薬を処方してもらうことを提案しましたが、ピエールはそれは拒絶して分析家との次の面接の約束をしました。分析家はもしその約束の日より前に発作が出た時には連絡をするようにと言って、初回を終えました。

 

人生の見直し

 

三回目の面接で、ピエールにとってこの分析家との面接が、彼のそれまでなじんできたコミュニケーションの取り方と非常に異なるものだということが分析家に分かります。ピエールはカトリックの熱心な活動家でした。彼は自身の属するグループが催す「人生の見直し(修養会)」という会合に定期的に参加しているのですが、そこでは参加者が順々に、自分の人生の中で問題となった個人的な事柄について、皆の前で語る習わしでした。語ったり人の語りを聞く時間が終わるとつづいて福音書を読む時間が設けられ、人生上の難問を福音書に照らし合わせて解き明かしたり、各自内省する・・という時間が設けられました。それまでピエールはこの内省の時間を非常に大事にしていたのですが、分析家との面接が始まるとこの集まりに出なくなりました。分析の時間が、言わば修養会での内省の時間に取って代わったようでした。とは言え、ピエールにとって信仰は揺るぎのないもので、そのグループとの絆も疑いの余地がないものでした。

 

この分析的な面接は8か月の間に7回行われました。パニック発作は消え、ピエールは自信を回復し、仕事や女性との関係におけるいくつかの問題を解決することができました。一般的な分析的な面接からすると、頻度も回数も少ない例外的なものと思われますが、要所を的確に押さえた良い面接だったのだろうと思います。

以下、その7回の面接について説明します。                   ()に続く

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