分析主体のことば③
分析主体が語るシリーズの3つめのものになります。
AMP(世界精神分析協会)のHPの最初のページ下部にあり、分析主体(分析を受けている人)が、自身の分析にかんして簡潔に2分程度で語るというコーナーです。
今回はアメリアという女性が語っているものを訳しました。分析家がした解釈が、その時の彼女にとって意味がわからなかったとしても、はっきりとした効果を及ぼしたことが語られています。

分析主体が語るシリーズの3つめのものになります。
AMP(世界精神分析協会)のHPの最初のページ下部にあり、分析主体(分析を受けている人)が、自身の分析にかんして簡潔に2分程度で語るというコーナーです。
今回はアメリアという女性が語っているものを訳しました。分析家がした解釈が、その時の彼女にとって意味がわからなかったとしても、はっきりとした効果を及ぼしたことが語られています。
先週、掲載したのと同じところーAMP(世界精神分析協会)のHP、「分析主体が説明する精神分析」というコーナーーから引用、訳しました。
今回はマリーという女性の証言になります。
タイトルは「不幸せな恋愛」です。マリーはどのように分析をはじめて、分析の途上ではどんなことが起きたのでしょうか。
ちなみにこのマリーの証言のなかには、bien dire、よく(善く)言う、という表現がでてきます。これはラカンの表現です。
精神分析の面接では自由連想が求められます。なんでも頭に浮かんだことを、道徳的な判断などしないで、忌憚なく話すという掟です。とはいえ、多くの場合、それは、tout dire、 すべてを話すこと(すべてを話したと思うまで話すこと)とは違うし、また、bavardage、おしゃべり、とも違うと考えられます。
しかし、ではなにが違うのか、すべてを話すべきではないのかとなると、時と場合、状況によるものなので、具体的な説明は難しいところです。
このあたりのニュアンスに関心がある方は、先月の9月14日のコラムにとりあげた、エレーヌ・ボノー「すべてを言うことの欺瞞」の記事もあわせて読んでみてください。
分析はブラックボックスのようなものなので、なかなか外からそのプロセスやなにが起こっているのかは分かりにくいと言われます。そのとおりだと思いますし、そのうえ、分析ではひとりひとり、まったく個別的なプロセスを辿るため、一般化するのがとても難しいとも思います。
それにかんして、AMP(世界精神分析協会)のHPに、「分析主体が説明する精神分析」というコーナーがあるのを見つけました(最初のページの下のほう)。分析主体(分析を受けている人)が、自身の分析にかんして簡潔に2分程度で語るというコーナーです。
そのコーナーでは何人かの証言が「分析主体のパロール(ことば)」としてオーディオ音源で掲載されており、じかに聞くことができるようになっています。
今回、ダニエルという名の人が語っているものを訳しました。タイトルは「分析家の選択」です。ダニエルがどのように分析家を選んだのかや、どんな分析となったのかなどを、かいま見ることができます。