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分析主体のことば(④)

AMP(世界精神分析協会)のHPに、「分析主体が説明する精神分析」というコーナーがあります。最初のページの下のほうです。分析主体(分析を受けている人)が、自身の分析で特に興味深いと思う点にかんして、簡潔に2分程度で語るというコーナーです。

 

今回、アルチュールという名の人が語っているものを訳しました。タイトルは「幻想」です。

精神分析における「幻想」は言語化されたシナリオを指していますが、それにもいろいな次元の幻想があります。欲望を支えるものとしての幻想や、人が現実をみるときの枠組みにあたるものとしての幻想などです。

ここでアルチュールの「幻想」の内容について詳細は語られていません。しかし幻想の及ぼす力の強さ、その範囲については、伺い知ることができるでしょう。

アルチュール(AMPサイトから)

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分析主体のことば③

分析主体が語るシリーズの3つめのものになります。

AMP(世界精神分析協会)のHPの最初のページ下部にあり、分析主体(分析を受けている人)が、自身の分析にかんして簡潔に2分程度で語るというコーナーです。

今回はアメリアという女性が語っているものを訳しました。分析家がした解釈が、その時の彼女にとって意味がわからなかったとしても、はっきりとした効果を及ぼしたことが語られています。

アマリア(AMPサイトから)

 

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分析主体のことば ②

先週、掲載したのと同じところーAMP(世界精神分析協会)のHP、「分析主体が説明する精神分析」というコーナーーから引用、訳しました。

今回はマリーという女性の証言になります。

タイトルは「不幸せな恋愛」です。マリーはどのように分析をはじめて、分析の途上ではどんなことが起きたのでしょうか。

マリー(AMPサイトから)

 

ちなみにこのマリーの証言のなかには、bien dire、よく(善く)言う、という表現がでてきます。これはラカンの表現です。

精神分析の面接では自由連想が求められます。なんでも頭に浮かんだことを、道徳的な判断などしないで、忌憚なく話すという掟です。とはいえ、多くの場合、それは、tout dire、 すべてを話すこと(すべてを話したと思うまで話すこと)とは違うし、また、bavardage、おしゃべり、とも違うと考えられます。

しかし、ではなにが違うのか、すべてを話すべきではないのかとなると、時と場合、状況によるものなので、具体的な説明は難しいところです。

このあたりのニュアンスに関心がある方は、先月の9月14日のコラムにとりあげた、エレーヌ・ボノー「すべてを言うことの欺瞞」の記事もあわせて読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

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