コラム
分析主体のことば ②
先週、掲載したのと同じところーAMP(世界精神分析協会)のHP、「分析主体が説明する精神分析」というコーナーーから引用、訳しました。
今回はマリーという女性の証言になります。
タイトルは「不幸せな恋愛」です。マリーはどのように分析をはじめて、分析の途上ではどんなことが起きたのでしょうか。
ちなみにこのマリーの証言のなかには、bien dire、よく(善く)言う、という表現がでてきます。これはラカンの表現です。
精神分析の面接では自由連想が求められます。なんでも頭に浮かんだことを、道徳的な判断などしないで、忌憚なく話すという掟です。とはいえ、多くの場合、それは、tout dire、 すべてを話すこと(すべてを話したと思うまで話すこと)とは違うし、また、bavardage、おしゃべり、とも違うと考えられます。
しかし、ではなにが違うのか、すべてを話すべきではないのかとなると、時と場合、状況によるものなので、具体的な説明は難しいところです。
このあたりのニュアンスに関心がある方は、先月の9月14日のコラムにとりあげた、エレーヌ・ボノー「すべてを言うことの欺瞞」の記事もあわせて読んでみてください。





