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コラム

母国語でない言葉で精神分析を受けること (1)

フランス人と分析を長年してきたので、よく受ける質問があります。それは「日本語を母国語とする日本人であるあなたが、フランス語で精神分析を受けることに、意味はあるのでしょうか」というものです。私が大学生だった時「いつかフランス人分析家にラカン派の精神分析を受けたい」と言うと、ある教授がこう言いました。「なかなか難しいんじゃないか。あなたの無意識の内容を意識化する―これはひとつの『翻訳』みたいなものだ。その上で、この意識化されたものを、あなたはフランス語に直して分析家に語ることになるのだから、これは2回目の『翻訳』になる。そのような『翻訳』の『翻訳』に、意味があると思うか?」そのような精神分析が全くの無駄だとは言わないけれども、このような二度の「翻訳」のせいで、こぼれ落ちてしまうものが多いのではないかーという否定的な意見でした。

 

確かにそれも考えられるなと思い、率直に意見を言って下さったことにとても感謝しました。それでも結局は教授の意見とは反対にフランス語で分析をしてきて、とても良かったと思っているのですが、この問いはとても大事な問いだと今も考えています。外国語で精神分析をした様々な方の意見を聞いてみたいと思っていますが、さしあたって私がこの問いへの答えとして考えるのは、「転移」のことです。

 

精神分析が行われる、なされるにあたって一番必要な条件が何であるかと問われれば、結局、「転移」があるかどうか、ではないでしょうか。たとえばある日本人がフランス人と精神分析をしたいと考える場合、フランス語が堪能でなくてはならないとか、日本の文化に精通した人を分析家として選ぶべきであるとか、それらが何を置いても重要であるとは私は思いません。なにより一番大事なことは、そこに転移があるかどうか、です。転移があれば精神分析が行われる可能性があるけれども、転移がなければ精神分析は始まらない、ということです。

 

転移についてはフロイトや他の分析家の考えなどまた別のコラムで説明を試みたいと思いますので、ここではラカンの考えを紹介したいと思います。ラカンは分析家について「知を想定された主体」であると言っていて、これを転移の本質であるとしています。これは分析を受けている人が分析家に対して、「この分析家は、自分についての知を持っているに違いない」と想定する、というような意味です。自分に関することを、自分以上に分析家が知っているのではないかーと思うということです。

 

そうは言っても、自分の事は自分が一番よく知っていると思ったり、自分よりも自分のことを理解できる人がいるわけはない、もし自分のことを自分よりも知っていると主張する人がいるならそれは宗教のようなもので、洗脳に近い話だとも思えます。それは確かに正しいわけで、ラカンも、「分析家は分析主体(分析を受けている人)についての知を持っている」と言っているのではありません。そうではなくて、あくまで分析をやっている間、分析主体は自分についての知を持っているのは分析家であると「想定する」と言っているだけであり、結局のところはその知は分析主体のなかにあるのだと言いたいわけです。ラカンはソクラテスの産婆術にならって、産婆にあたるのが分析家であり、この人の助けを借りて、分析主体は子どもを生む―それまで知らなかった自分についての知(真理)を産み落とすーと説明したのです。例えばある症状に悩む人が精神分析を受けるとして、分析家の力を借りて、症状が意味するところを理解(真理としての知)し、症状から解放される―ということです。

 

別の言い方をすれば、分析家に会う時、「この人なら私のことを理解して悩みを解決してくれるだろう」とか「この人になら話してみたい」というのがなければ、分析主体の無意識が開いたり、自由連想がなされるということは、大変難しいと言えるでしょう。分析を始める時、なぜ今、ほかならぬこの時に、分析を始めるのかという問いは必ずなされるものですが、同じくらい「(他の誰かではなくて)この分析家に分析を受けたいと思うのか」という問いは大切で、たとえその時ははっきりしなくても何か答えがあるものだと思います。

そしてこの分析場面で働いている転移の力というのはとても強力で、分析作業がどのようなものになるかを決定する、大きな原因になり得ます。転移は分析作業を進める分析主体の側のモーターのようなものと言えるでしょう。そして分析家の側のモーターは、ラカンが「分析家の欲望」と呼ぶものと言えるでしょう。

 

とどのつまりは誰かがどれほど良い分析家だと考える人を紹介してくれたとしても、本人が転移を起こすということがないならば精神分析をするのは難しいと言えます。精神分析を母国語でやるかどうかや、分析家の言葉をどれほど習得できているかということよりも、そちらの方がはるかに大切なことであると思います。

以上が母国語でない言葉で分析を受けるということについて、一番初めに答えたい事柄です。 ((2)に続く)

 

 

 

コラム

切迫する不安 ピエールの症例(3)

ピエールの面接は7回しか行われていませんが、その治療的効果は疑いのないものと考えられます。以前のピエールは不安発作に悩み、また知的な面での制止と、抑うつの状態で行き詰っていました。半面、彼が唯一生き生きとできる場面は宗教活動の場面であり、それが彼にとって大事な社会的なつながり、人間関係を作っているものでした。この宗教面に関することとしては、その場が彼自身を支えていて、彼の理想の自分のイメージを支えていたと考えられます。しかしカトリックでは自殺を禁じており、ピエールの友人はまさにその自殺をしてしまったため、ピエールは彼の信じる神への信仰が想定する意味の限界に、置かれてしまったのでした。

 

それでは分析家はどのようにピエールの最初の不安・訴えを理解したのか、面接でどのようなことが起こったと考えられるのでしょうか。

 

福音書読解の再解釈

分析家はピエールの症例について、2つのポイントを指摘しています。

ひとつは福音書の読解の再解釈、もうひとつは友人に言われた言葉に関してのことです。両者は互いに関連しています。

 

放蕩息子のたとえ話は、3人の兄弟が生前に父の遺産を分配してもらうという内容の、たとえ話です。その話の中でピエールが問題にしているのは、長男が父のそばにとどまって暮らし親孝行していたにも関わらず、遺産分配の時にそのことが考慮されず報われていないと感じ、不満を言う点です(一般的にこの話は宗教的な父の愛の深さ=遺産で放蕩を尽くして戻ってきた三男のことを、喜んで迎え入れる寛大な父=を示しているものとも考えることができます)。

ピエールは6回目の面接で、今までとは別のやり方で、この部分を解釈することにしたと話すのでした。それはこの長男は、「父親への愛に囚われていたせいで、自分の人生を楽しむということを自分で自分に禁じていたのだ」という解釈です。これは彼にとって非常に大きな発見でした。この解釈を自分で見つけたおかげで、親元に住んでいた彼は、今までの人生とは決別して、自分の人生を選択する自由と、ひとりの女性を愛するという危険を冒す自由とを、手に入れることができたのでした。

 

“意味の外”との出会い

 

もう一つのポイントは、「君に同じこと(=自殺)が起こるなんてことは、あってはならないよ」という友人の言葉です。この言葉のせいで、ピエールは、自分の意に反して、手すりの上から自分が飛び降りてしまうのではないかという不安に陥っていました。

ピエールはもちろん死にたいわけではありませんでした。しかし発作的に自分がそのような行動を取ったらどうしようという不安に、絶えず襲われていたのです。なぜか。それはこの友人の言葉自体が、ある、“意味の外”(思い描いたり言語化することが不可能な、了解不可能であるような外部=この症例では”自殺”)との出会いを名付けているからだ、と分析家は考えます。この言葉は「~してはならない」という命令の形を取っていて、謎めいてもいますが、このような言葉はピエールに何らかの返答を強いてくるものであり、その返答がとりあえず”自殺行為”でもあり得るために、ピエールは不安に陥っていたのだと分析家は考えます。友達がなぜ自殺したのかは分からない、その意味を探しても無駄であると分かった瞬間から、ピエールはいわば友達の狂気の中に投げ込まれてしまったのでした。

しかし精神分析の場とはある特権的な場であり、この何気ない言葉の謎を、解釈によって解決することができる場であると分析家は考えます。「人生を楽しむことを自分に許可しないこと」・・このことこそまさに、実は自殺した友達が示したことではないだろうか。こう問うことが出来るようになるとピエールは、「~してはならない」という命令の彼方に自分を連れ出すことができ、不安から解放されることができたのだと、考えられるのです。

以前のピエールは福音書を頼りに、その教えを使って彼自身の問題を解こうと努めていました。しかし友達の自殺以降、彼の信じる宗教では堰き止めることのできなかった謎が生じ、宗教とは違う、精神分析という、べつの場・べつの装置を用いることで、彼は自分の生きる欲望との結びつきを創造することができました。それは彼がそれまで信じてきた宗教を否定することにつながったかと言うとそうではなくて、むしろピエールと宗教との関係をより豊かなものにしたかも知れないと思います。

 

この症例において切迫とは、避けられない命令のように彼に降りかかったものから、彼自身を分離させるような、ひとつの回答を求めるものだったと分析家は言います。人がどうしようもない、制御できないような不安に捉われ、このままいたらおかしくなってしまうのではないかというような切迫した状態になることがあります。そのような場合であっても、ピエールは薬には頼りたくないと言って、分析家との出会いを上手く使いながら、難局を切り抜けることができ、新しい人生を創造することができました。

 

コラム

切迫する不安 ピエールの症例(2)

各セッション(面接)の要点は、以下のようなものでした。順を追ってみてみます。

初回

最初のパニック発作の話。ピエールが修士論文を書き終えた時に、最初のパニック発作が起きたのでした。その後はきまって眠れないとき、夜中に起こっていました。彼は突然発作が起きることを怖れて、どう防いでいいのかが分からなくて悩んでいると言います。

家族について。ピエールは複数の兄を持つ末っ子で、彼は大人たちに囲まれて、まじめで孤独な子どもでした。

仕事の面では学歴や職業訓練などに釣り合っていないような職を、細々とやっていること。公務員試験に挑もうと勉強をしていたものの、物事が変化するとは思えないことや、また、将来に関して自分が家族を失望させてしまうのではないかと恐れていると言います。

二回目

具合がとても良くなったが、ただ初回面接の二日後にパニック発作が起こったことだけは例外だったと言います。「僕が絶望しているかのように、内面から生じてくる脅威」について語ります。友人の自殺を知って、彼自身も人生上の出来事に向き合う力がないのではないかと怖れている。と言うのは、友人は学業を立派に修めて、近い将来父親にもなるはずだったのに、自殺してしまったのだから。自殺の理由が分からず不可解な謎となっていて、そのせいで非常に動揺しているのだと認めます。

三回目

無気力で耐え難い不安にさいなまれた期間があったと語ります。分析家は自殺した友人について、思うこと、心に浮かぶことを何でも話すように求めます(自由連想)。するとピエールは彼の通っていた「人生の見直し」とはどんな会なのかを詳しく説明しますが、続けてじつは自殺した友人は、まだこの訓練をする前だったと話します。博士号を取ったその友人に対して、他の友人たちはこう言ってからかったのでした「いまや、君は免れないよ!」。その友人は本当はこれから皆の前で人生上の個人的な困難について話す番だったのに、それをする前に自殺を選んでしまったのでした。このこと自体も、ピエールや友人たちを一層困惑させるものでした。いったい友人のこころの中で、何が起こっていたのだろう。

四回目

すべてはうまく行っていましたが、その後再び不意に不安になったと語ります。ピエールの誕生日が来ましたが、同時にその日は友人の命日でもありました。ピエールが考える、最も耐え難いこととは、友人が誰にも助けを求めなかったことでした。

分析家は彼に両親について訊いてみます。「両親はこのことについて知っているの?」―ピエールは知っていると答えます。その事件の後、ピエールは数週間実家で過ごしたのでした。彼は修士号をとるのに10年かかったのですが、両親は常に彼を信頼して支えていました。友人らは「君の両親はすばらしいね」と言っていたのですが、ピエールは親の彼への態度についてそんなふうにポジティブに捉えたことはなかったことに気がつきます。

五回目

女性との付き合いについて語ります。最初はマチルドのことで、彼女もまた宗教のグループの活動を熱心にやっている女性でした。ずいぶん前からピエールとマチルドは一緒に勉強していて、互いによく知っている仲です。告白したのは彼女のほうからで、ピエールは彼女の要求にこたえましたが、本当は魅了されているわけではありませんでした。全然女性らしくなく、威張っていて頭が固いのだと説明します。ところで最近になり、べつの若い女性がピエールに興味を示してきました。しかし彼はマチルドに対して罪責感を感じたり、先へ踏み込むことが怖く、自分に自信ももてませんでした。彼はイエズス会の黙想会に出ることに決めます。

六回目

イエズス会の黙想会の時に、彼は福音書の有名なテキストを読むことになります。

このテキストについて、「父と三人の息子について」と彼は言います。一般的には放蕩息子のたとえ話のことですが、彼のこの話の捉え方はそうではないようです。

これは父から遺産を分配してもらい自分の人生を生きようと父とその実家から立ち去ろうとする息子の話です。父はそれを承諾して、それぞれの息子に取り分を与えます。何年かして長男は、父のそばにとどまっていたにも関わらず遺産の分配についてはその報いを得られなかったことについて、父を非難します。

そこでピエールは、でも、と言います。この長男だって父からすでに遺産の分配は受けたのにそれを忘れているのだし、父のそばにとどまっていたのは彼の問題なのだと。「自分の人生を作ることを、彼は自分に禁じたのです」と説明しました。

分析家はピエールがそんなふうにこのテキストを解釈することで、彼自身の人生についても解釈しているのだと考えます。父のそばにとどまるというのは、選択の問題なのだと。ピエールもまた、両親のそばにとどまることを選んでいました。仕事のことであれ恋愛のことであれ、彼は子ども時代をおしまいにして、自分自身の道を見つけるということをそれまでしないできたし、自分の人生を楽しむことを禁じてきたのだと。しかしいまやピエールは、それらのことを自分に許可できるのです。

またピエールは、ある別の若い娘が彼の誕生日に姿をみせたと語ります。その女性は彼に万年筆を贈り、「これは、言う勇気がないすべてのことをあなたに伝える、私なりのやり方なの」と書いてきたのでした。ピエールは電話をかけ、デートに誘いました。

七回目

バカンスから戻ってきてからのこと。ピエールは万年筆をくれた女性とバカンスを過ごしたのですが、とても楽しく過ごせたとのことです。彼は恋をしています。彼はパニック発作はもうでなくなったと言います。いつでもまた何かあったら来れることを確認してから、面接は最終回となりました。

 

以上が7回のセッションのまとめです。次の記事で分析家がどのようにピエールの訴えを捉えて理解したのか、面接でどのようなことが起こったのか等を解説したいと思います。

 

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