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症例 「鳩男」

雑誌Mental33号

前のコラムに書きましたが、ヨーロッパ精神分析連盟主催のPIPOL7では、初日に多くの症例発表が行われました。「犠牲者」という大会のテーマに何らかの形で関連がある症例の検討が行われました。

その中で私の印象にとくに残った症例が「鳩男」と言うものです。

このタイトル「鳩男」というのは、日本語で言うと「鴨男」というほどの意味です。日本語で「~のいい鴨になる」(~の都合良く利用される)という表現がありますが、そう言いたいときに、フランス語では「鴨」のところが「鳩」になるのですね。これは面白いと思います。

内容をごく簡単に紹介することにします。(以下、ラカン派精神分析の用語がいろいろ出てきますが、それらに関してはまた機会を改めて説明したいと思います。)

この発表で扱われていた主体は、ラカン派精神分析の分類で言えば、精神病の主体です。この男性はある犯罪を犯した後に精神分析家と出会い、面談をつづけ、自分の享楽を名付けることに成功し、自分の人生に責任を負う主体として生きることが可能となった人物として報告されています。精神分析的な面談によって主体の変化が起こり、人生が良い方向へ変化した一つの成功例として、提示されています。

ただ彼は自分の罪状を最初から最後まで(分析家との面談が進んでも)否認しており、事件の加害者である自分のことを「被害者」であると見なしている人物でもあります。このような主体にたいしてどういった姿勢で臨むことが可能なのか、精神分析家が出来ることと出来ないこととが、説明されているとも思います。

発表者のジョナサン・ルロイ(Jonathan Leroy)氏はベルギーの司法関連機関で働く精神分析家で、ブログも運営しています。3ページ程度の短い論文ですが、主体が大他者の享楽の対象になるという経験についてや、症状からサントームを作り出すということの一例が、手際よく提示されていると思います。発表論文はその後雑誌Mentalの33号に収録されました。

※この論文の詳細をお知りになりたい方は、ルロイ氏論文の試訳がありますので、相談室宛てにメールでお問い合わせください(ルロイ氏の承諾を頂いています)。

その他(訳書など)

PIPOL7 (ヨーロッパ精神分析連盟第3回大会)について

この大会は2015年7月4日、5日の二日間にわたりベルギーのブリュッセル、スクエアブリュッセルミーティングセンターで開催されました。主にヨーロッパで活動するシャン・フロイディアン(ラカン派)の精神分析家たちによる大会で、2年に一度開かれます。この年私は一年パリに留学していたため、参加することが出来ました。あれから時間はかなり経ってしまいましたが、今回はこの大会についての印象を簡単に書いておこうと思います。

参加者は1200人ほどで、「ヨーロッパ精神分析連盟EFP EuroFédération de psychanalyse」が主催のこの大会では、まず申し込み時に講演を聴くための同時通訳の言語を選びます(フランス語、イタリア語、スペイン語、英語、ドイツ語の中から一つ)。参加費用は二日合わせて、早期申し込みで140ユーロ、その後は180ユーロ(学生は半額)でした。また二日目終了後の打ち上げのようなレストランでのパーティーに出席したい人はさらに50ユーロ払うとのことでした。

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PIPOL7大会バッジ

大会のタイトルは「犠牲(者)victime !」。

このタイトルは2015年1月に起きた、シャルリー・エブド社への襲撃事件にちなんで選ばれたとのことです。この事件とそれに続いた一連の事件では、警官や出版社関係者(風刺漫画家も含む)、ユダヤ人らが標的とされ犠牲になりました。精神分析は言論の自由が保証されていることがその実践の前提になっていますし、ユダヤ人の方が多く活躍していることからも、この事件は参加者皆にとって大変な衝撃だったと思います。ラカン派のこういう大きめの会合では主題に合ったバッチやノートなどを作成して配布するのが流行っているらしいのですが、この大会でも、襲撃で命を落としたシャルブとティヌスが描いた、口を封じられているフロイトのバッジが配られました。これはこの事件とは全く関係ない機会に精神分析を擁護する目的で彼らが風刺画を描いたもので、その一部を切り取って作成したものだそうです(詳しくはLacan Quotidien 451を参照)。

大会前からPIPOL7のためのサイトが開設され、「犠牲(者)」という言葉が連想させるものに関して、参加者による様々な投稿が数多くなされていました。内容的には精神分析にとどまらず文学・芸術・政治・歴史など多岐に渡っていて、メーリングリストに登録すると、大会まで毎日のように2・3の短い記事が送られてきました。サイトはいつまで公開なのかは分かりませんが、現時点ではまだ記事が読めるようです(注:サイトがなくなったのでリンクを削除しました、以下も同様です)。

また「victime」という語の語源について色んな国の人に書いてもらっているので、その日本語の語源について書いてもらえませんかと、ある大会関係者から頼まれました。私は全く語源の知識がないので遠慮すべきだったかも知れませんが、依頼されたことが嬉しかったことと、せっかく大会に参加するのだから何か少しでも貢献したいと思ったので、自分なりに書いてみることにしました。それで急遽辞書とネットを使って調べ、投稿しました。

 

プログラム 初日

午前の部 10時~13時30分、午後の部 15時~18時30分

参加者は事前にあらかじめ10のグループに振り分けられ、丸一日ひたすら症例発表を聞きました。そのやり方は、1時間ごとに司会者、コメンテーター、2人の症例発表者が登場して、発表、討論(時間が残れば会場からの質問を受け付ける)を繰り返す、というものです。ですから参加者は一日で最大一人12ケース聴くことが出来ました。

ラカン派の症例発表・検討会への参加はこれが初めてではありませんが、やはりとても面白かったです。発表される症例は何らかの形で大会テーマの「犠牲(者)」に関連していることが条件ですが、その上で私のいたグループ5では、例えば10時からの会は「その幻想について」、11時からの会は「要請と犠牲」、12時からの会は「刑務所で」というタイトルがつけられていて、議論がしやすいように同じ時間帯に発表される症例の組み合わせに工夫がされているようでした。発表者は一人十数分程度に症例をまとめてきて、「主体の変化がどのようにして起こったか」に焦点を絞りこみ、またそれをきちんと理論づけて発表する努力がなされていたと思います。また様々な国の分析家たちによる面接の記録は、その人の住む国の特別な事情が垣間見えるところもあり、興味深く聴きました。ただ一つの症例に充てる時間がきわめて短いため、質問がある場合は後で個人的に教えてもらったほうが良さそうでした。それからこの大会では症例にかんする配布資料は事前にも当日にも何もなく、すべて耳で聞きとらなければならなかったため、ついていけない時間も多くありました。

そして午後の時間帯のうちの一つだけ、症例発表ではなく、「パス」(分析家になるための、「分析とは何であったか」を証言する一連の手続き)を通ったばかりの人たち2名が、自分の分析経験を語るという時間がありました。これも非常に興味深かったです。ラカン派の分析家になるための(教育)分析は数十年にわたることもめずらしくありませんが、自分がはじめどういうこと(症状や悩みなど)から分析に入り、それがどのように解決・変化し、分析の終わりにはどういう経験をしたか等いろんなことがテーマになり得ますが、かなり正直に二人とも自分の人生の話、症状の話、分析経験の話を語っているように思いました。

大会パンフレット

ヨーロッパ精神分析連盟による雑誌、Mentalの33号には二日間にわたるPIPOL7第3回大会で発表されたものの一部が収録されています。例えばこの初日に発表された症例の中からは、12症例が掲載されています。また別のコラムでそのうちの一つの症例を紹介したいと思います。

 

プログラム 二日目

 

午前の部

9時~ 「開会」 EFP会長ジャン-ダニエル・マテ氏の挨拶
9時15分~ 「視角」
世界精神分析協会AMP Association Mondiale de Psychanalyse会長、ミケル・バッソル 「技術、宗教、そしてそれらの犠牲者たち」
9時半~ ビデオ上映「シャルリーのために」
シャルリー・エブド社の女性社員に分析家がインタヴューをしたビデオ。彼女は事件の時現場に居合わせ、犯人のことばを聞いた人物。
9時45分~ 「過激化について」
フェティ・ベンスラマ (チュニジア出身精神分析家) 「傷つけられた理想」
ラシドゥ・ベンジーヌ (モロッコ出身イスラム研究者)「宗教的テキストと社会的効果」
上記二人の発表のあと、進行役マリ-エレーヌ・ブルス、ほかエリック・ロランとアントニオ・ディ・チャッチャ(3人とも精神分析家)が加わり、討論。
11時~ 「ある博物館、あるスーパーマーケット」
ジェラール・ヴァジャマン(美術評論家、精神分析家)「断固とした犠牲者たち」
上記の発表の後、ザハバ・シーヴァルド(2014年5月のベルギーにおけるテロの標的になったユダヤ博物館のキュレーター・歌手)、カトリーヌ・ラザルス-マテ(精神分析家)が加わり討論。
11時45分~ 「シリアにて」
ディディエ・フランソワ(ラジオ局ヨーロッパ1所属ジャーナリストで、アルカイダ系組織の人質となった経験を持つ)への精神分析家ロール・ナヴォ―とギー・ブリオルによるインタビュー

午後の部

13時45分~ イディッシュ語の子守歌の生演奏
13時55分~ 「彷徨う思想」
アレクサンドラ・レニェル―ヴァスティーヌ(作家・哲学者・歴史学者)「いけにえを殺す僧のレトリックの袋小路」
ジャン-ダニエル・マテ(精神分析家)による質問
14時30分~ 「ヨーロッパ的な居心地悪さ」
座長 ジル・キャローズ(精神分析家)
レジナルド・ブランシェ(精神分析家) 「いけにえの犠牲者」
アントニ・ヴィセンス(精神分析家) 「手紙ゲルニカ」
デボラ・グテルマン-ジャケ(精神分析家) 「イスラモフォビー、分割するひとつのシニフィアン」
15時45分~ 「私たちは誰でしょう?」
PIPOL7の大会準備・運営にかかわった人たち(おもに精神分析家)50名ほどが壇上にあがり、運営責任者ジル・キャローズ(精神分析家)によって一人づつ名前を呼ばれ、会場からの拍手喝采を浴びていた。拍手された当人たちの中で話したい人はマイクを持って話していたため、全体で45分ほど続いた。
16時半~ 「シャルリー後の不幸なアイデンティティ」
アラン・フィンケルクロート(哲学者、アカデミー会員)にアニェス・アフラロ(精神分析家)がインタヴュー。
17時半~18時45分  クローデル「人質」の上演
演出 ジャック・ロッシュ
ルイーズ・ロッシュ、ヴァランタン・レルミニエ

ほか、人権擁護の活動家でありジャーナリストのキャロリーヌ・フレストの語る「目覚め」というタイトルのビデオが上映されたかも知れませんが、記憶が定かではありません。手元のパンフレットとメモを頼りにあやふやなところを書いているため、その他についても多少の間違いがあるかも知れません。

2日目は、劇場としても使用される講堂の中ですべてが行われました。精神分析の臨床に一日をまるごと費やした初日とはがらりと変わり、分析家以外の人も招いて、精神分析と現代社会、それもテロリズムが一般市民を脅かすほどに台頭してきた社会との関わりを徹底して考えるプログラムとなっていました。そのうえで、歌や演劇といったエンターテイナー的要素も取り入れられたものでした。

それぞれの内容を要約して書くことはとても難しくてできませんが、個人的に印象に残っているのは、シリアスな内容のビデオや、その後の会場の緊張を和ませようとしていた女性の精神分析家マリ―エレーヌ・ブルス、「過激で人種差別的なISの思想がどう形成され、なぜそれに惹かれていく若者がいるのか」の力の入った討論、あまり個人的な体験を話したくなさそうなジャーナリストの猛烈なスピードの語り口、アラン・フィンケルクロート氏がくつろいだ対談で見せたユーモアなどです。また、女性ボーカル(おそらく午前に登壇したザハバ・シーヴァルドさんではなかったかと思います)ほか二人の演奏によるイディッシュ語の子守歌は初めて聞きましたがほっとさせてくれるものでしたし、「私たちは誰でしょう」という題の時間帯の、大会運営のために縁の下で支えた人たち一人一人を、会場からの大きな拍手でねぎらう場面というのも初めて見るもので、とてもこころ温まりました。発表や討論が繰り返されるあいだに、ことのほか緊張を強いられる時間(恐怖、「耐え難いもの」を体験した人の証言を聴く時間)と、芸術やユーモアに由来するなごんだ時間とが織りまざった、大会二日目だったのかと思います。
その他、二日間を通して、フランス出身で多方面で活躍するアーティスト、ピエール・ビスマスの手による作品が会場に展示されていました。

両日ともにベルギーやフランスが熱波に襲われていた時期で、体力的にはしんどく、また列車の都合で最後の演劇も残念ながら観ることができませんでしたが、大変勉強になりかつとても楽しい大会でした。精神分析の学会が、こんなにも人間くさく、しかも洗練され、刺激的で、知的な学会であり得るのだ・・と発見した体験となりました。
今年の7月1日、2日にはPIPOL8(第4回大会)がベルギーの同じ場所で開催され、今回のテーマは「規範外の臨床」とのこと、サイトもすでに公開されています。

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2017/04/11

このコラムでは、精神分析にかかわる基本的な事柄の説明や、ラカン派の分析家たちの仕事の紹介をしていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

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