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精神分析の実際

精神分析のプロセス(2) Aさんの症例

1 ずっと悩んでいることを話しにやってきたAさん

 

Aさんは20代の女性ですが、長年ひとつのことに苦しんできました。それは「自分はなにかうまく笑えない。自分の笑いは奇妙なのではないか」という悩みでした。べつに人からこれについて指摘されたことはなく、むしろ周囲には明るく楽しい人と思われているとのことです。でもAさんは下らないことだと思いながらも気になるとどうにもならず、もう10年ほどこのことに悩んできたと言います。最初はなんとなくそんな考えが浮かぶという程度でしたが、成長するに従って悩みは深くなり、今では自分の「笑い」が気になって、目の前の人との会話が楽しめないこともあります。出会いを求めて外に出かけて行きたいと思っているにもかかわらず、その勇気がでなくて、だんだんと自分に自信がなくなってしまいました。しかしこのままではどんどん悪化するだけだと思い、もしかしたらこういう変な(?)悩みでも聞いてもらえるのではないかと思って、分析家のうちにやってきました。Aさんは最初週に二度、のちに三度、分析家のうちに通うことに同意しました。

 

分析家はAさんに、とにかく何でも頭に浮かぶことを話すように話します。するとしばらくしてAさんは語ります。「不思議と頭に浮かんでくる一枚の写真があります。それは小さい頃に兄からもらった本のなかの写真で、ある女性作家が写っていました」。それから、「でも確かにその作家さんの笑い方は変だなと思いました。たぶん写真が加工されていて、色の付き方が変だったのかも知れませんが、よく覚えていません」彼女はこんな写真のことはとっくの昔に忘れていることだし、たぶん本のことはくれた兄も忘れていると思うのに、なぜ今これを思い出すのかは不思議だと言います。ただ「奇妙な笑い」という点は自分の悩みと共通しているため、もしかしたら何か関係があるのではないかと思い始めました。

その後分析が進んで、Aさんが理解したのはだいたい以下のようなことでした。Aさんの両親はあまり子どもに関心を持たない人たちで、Aさんは孤独な幼少期を過ごしていましたが、唯一の心の支えが兄で、兄のことが大好きでした。そんな兄がくれた本のなかに登場するこの作家は、兄にとっては憧れの、理想の女性のようなものだったそうです。じつはこの「自分の笑いは奇妙なのではないか」という強迫観念のような症状は、Aさんがこの作家に無意識に同一化していることが原因で、起こったことでした。つまり、兄のこころの中でこの女性作家が占めている位置をAさんは代わりに占めたい、そうして兄にもっと愛情を注いでもらいたいと望んでいたのでした。そしてAさんはこの作家の持つ特徴である「奇妙な笑い」も無意識に自分の身に引き受けて、それについて苦しむという形で自分を罰していたということなのです。(症状を生みだす原因となっていることがらは決して一つのことだけではありませんが、ここではこのひとつだけを取り上げることにします。)

ただ、そこまで理解が進み、完全に症状が消え去ってしまうには、かなりの時間が必要でした。「同一化」という概念も、本当に理解するのはそう易しいものではありません。そしてこの話はAさんのセクシャリティーや愛情にまつわることの分析がなされないと、完全には理解できないものでもありました。

ですからAさんの場合、実際の分析は以下のように進みました。

まず悩みについて語り、ふと思い出したことを自由に語ります。この三角関係(兄とAさんと女性作家)についての話がある程度まで語られると、もうこの症状についてあまり悩まなくなりました。というのは、Aさんは自分の症状に、ある種の『理由』『原因』があること、無意識がなんらかの形で作用していることが、はっきりと実感として分かったからです。それも、ただ頭に思い浮かぶことを頼りにするだけで、理解に至ったのでした。このような分析の最初に起こった色々な発見はAさんを非常に驚かせると同時に、安心も与えました。それでもう以前ほどそのことで悩まなくなりました。そして、Aさんはつぎに見えてきた自分の問題に、取り組むことにしました。それは兄を頼りにせざるを得なかった状況はなぜ生まれたのか、幼少期の親との関係は、どういうものなのだったのかを考えることでした。その後、Aさんのセクシャリティーや愛に関することがらを話し理解することへと移り、その話をしているなかで最初の主訴(「自分の笑いは奇妙なのではないか」)についてより分析が進み、完全にこの症状は消え去ることになりました。

 

このケースでAさんはまず「症状」を訴えることから分析を始めたと言えます。そしてその最初に訴えた「症状」についてある程度理解したと感じたところで、Aさんの関心は自然とほかの問題に移っていきました。このようにひとつの問題が片付いたり解決したりしたときに、次のことに取り組もうとする場合もあれば、そこで終わりにする場合もあります。だいたい色々な問題は絡み合って存在しているものなので、ひとつの問題の解決はつぎの問題の入り口になっていることが多いと思いますが、続けるかどうかは分析をやっている人が決めることでしょう。Aさんの場合は続けることを選択し、ほかのさまざまな問題を問うたり、また違う角度、違う深さで最初の主訴についての分析が再びなされ、それについて完全に解決を見た・・というプロセスを辿りました。

(症例はモデルケースとして創作したものであり、フィクションです)

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